念佛者的氣息

原创 高坂暢

念佛者的氣息

瑞覺師:南無阿弥陀佛!這是日本広島的古和同朋写給光瑞寺的高坂住持的感謝函,因為内容殊勝,住持發到光明之子和大家分享。以下是全文的中文翻訳。

在寒中問候您。許久没見面了,寒冷的天気日復一日。我們的母親在去年回浄土去了,雖然不捨,但是感恩有機会能和晩年的母親就著後生一大事,過著法談的生活,這段日子實是人生最大至福的時間。

去年的秋天,是有記憶以来紅葉最漂亮的秋天。直到最後記憶無衰退的母親,以九十九歳在十一月八日天未亮時,離開了借住之宿。早在二、三年前,就已知道母親得到了不治之症的肺癌。在盡力想為母親做点什麼却都徒労無功下,最後成了肺積水,在鎮上最好的良医的協助下,母親回到家裡譲我們有機会看護。在没有驚人的疼痛,没有無法忍受的苦痛下,母親在住慣了的家裡迎接了臨終。

直到母親去世的十天前,我們皆一起在佛前做早晩課,在去世的四天前,母親已無法出声,但仍微笑著向佛合掌,這是母親在佛前做的最後的告別。十一月七日的深夜(即十一月八日的凌晨)一点半,最後離別的時刻終於来了。依著如来涅槃的儀式,頭北面西右脇而臥,鳴磬,家人一起誦讃佛偈、重誓偈、最後在正信偈的経声中送走了母親。我坐在母親的背後,與母親一起面向西方,舎弟和内人則坐在母親的前面,我們一起守著母親誦経。誦経開始後不久,母親張開了眼睛,那眼睛晶瀅透澈,真的是好美的眼呀。當我們誦完正信偈時,母親的眼半閉著,已没有了脈博。因為母親的臉實在太好看了,葬儀結束時,舎弟直説想要幇母親拍照。

前年的十二月,当聴到医生宣布母親只有三個月的生命時,我難受的不得了,想到就要和母親死別,這比自己死了還要令自己難過。但是母親多活了八個月,這次到了死別的時候,以前那分不捨與錐心之痛的感覚幾乎都不見了。看到被如来的勅命招喚回帰浄土的母親,能送別以如来涅槃的儀式臨終的母親,没有難過,有的只是不思議寂静的時空而已。

感恩後生一大事受到法雷(瑞黙老師)的引導,感恩能和母親一起法談,能在最後守著母親的臨終,盡著這最初也是最後的重託。

依止老師,不知不覚就是十年了,記得最初是在光瑞寺所辧的「教行信證的講義」法座上,頂戴老師的教法的。当時老師写在黒板上説:「遇良師,這不是件偶然的事哦」。感謝光瑞寺譲我有遇良師的機会,這分恩徳我至今仍銘感在心。

光瑞寺的高坂住持説:很抱歉在此發這麼長的文。感受到念佛者的気息,故掲載出来和大家分享。

念佛者的氣息

蒙光:南無阿彌陀佛!讀到最後,忍不住淚水湧上眼眶。人間的至愛無過母子,至痛無過母子的生離死別。感恩啊!如來的勅命是起死回生的大手,托著病痛的母親和不捨的我,在俱會一處的淨土,永遠不再分離。“遇良師,不是件偶然的事哦!”如來慈親爲我的計度,愚昧的我永遠不能知道。唯有合掌深深的感恩!佛恩師恩,生命中尊貴無比的光明呀!無論如何稱謝,都不足以道盡的不思議大恩,今日頂戴到了。

南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛

蒙光頂禮

念佛者的氣息

附:

髙坂暢:広島の古和様よりお手紙を頂きました。「寒中お見舞い申し上げます。ご無沙汰いたしております。

師 父:はい、どうも有難うございます。今のところは、先生は元気にされておられますとお伝え下さい。

髙坂暢:寒い日が続いております。昨年は私共の両母親が共にお浄土に帰った年になってしまいました。しかし、晩年の母と後生の一大事について共に語り、共に過ごすことが出来ましたことは、人生最大の至福の時間であったことを感謝しております。

昨年の秋は例年にない紅葉の美しい秋でしたが十一月八日未明、母は最後まで頭の衰えもなく行年99才で仮の宿を後にいたしました。2,3年前から実に、肺ガンという聞くだにも恐ろしい病名を頂きまして、何とか出来ないものかと思う思いも虚しく、肺に水が溜まるに及んで何とも致し方なく、しかしながら、町の良きお医者様のお力に依りまして最後まで在宅看護で、恐れていた痛みもなく、耐えがたい苦しみもなく、長く住み慣れた我が家で最期を看取ることが出来ました。

亡くなる10日前までは朝夕のお勤めも、仏前にお参りをしました。4時間前、声はもう出ませんでしたが微笑み、手を合わせたのが最後の別れとなってしまいました。日付は8日となり、中夜1時半、本当の最後の別れの時が訪れました。如来涅槃の儀式にしたがって頭北面西右脇にして鐘を鳴らしてみんなで「讃佛偈」「重誓偈」そして「正信偈」を読経してお見送りさせて頂くことが出来ました。 私は母の後ろ側に母と共に西に向かい、弟と家内は母の前で読経のうちに見守りました。読経が始まってまもなく、母は眼を開き、その眼は実に澄み切って、誠に美しい眼になった、と見届けてくれました。お正信偈のお勤めが終わった時、眼は半眼に閉じてすでに脈はありませんでした。葬儀も終わっていよいよ最後の時、母の顔があまりに美しいので、弟が写真に撮りたいと言ったほどでした。

一昨年の12月のことでしたが、母の余命は後三ヶ月と主治医の先生から告げられました時、私は母と別れるのがつらい苦しい、自分が死ぬよりもつらい思いにおちいってしまいましたが、母の命が8ヶ月延びて、まさに別れのその時に臨み、そして終わった時、その苦しみはほとんど消えていました。

如来招喚の勅命を受けて帰り往く母、時に臨んで如来涅槃の儀を奏し奉りてお見送り申し上げることが出来たあとに残ったのは、別れのつらい思いではなくて、実に不思議な静寂な空間でした。

後生の一大事に法雷のお導きを賜り、母と共に語り来たって母の最期を看取るという、始めにして最後の付託の任を果たせたことに、至上の感謝をいたしております。

もうすでに10年が経ってしまいましたが、初めて光瑞寺様にお参りさせて頂き、教行信証の御講讃を拝聴させて頂きました時、門前の黒板に《良き師に遇う、これはただごとではないぞ》のお示しを思い起こして、御恩を今また有難く頂戴いたしております。云々」

長い文章になってしまい、申し訳ありません。念仏者の息吹を感じ、掲載させて頂きました。

本文為原創作品。轉載請勿改動並請註明出處:https://www.horaicn.com/
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