釋蒙光譯註 2024-01-29
帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって知らされる
應回歸的世界 今遇光始被告知
念仏をはなれて 仏もなく 自分もない
離念佛 則無佛 亦無我
南無阿弥陀仏が私の救われるしるしであり 証である
南無阿彌陀佛是我被救的印璽 也是證據
まことに浄土真宗とは聞法はいのちであった
真實的浄土真宗 聞法即是生命
仏さまの光に照らされて 私の心に明りがつく
佛光照耀 我心光明
(注:日文原文中“照耀”是受身形,即我心光明,是被佛光所照。兩句以佛和我分別發端,形成對應,似相對而實一貫,這是主客相融、佛凡一體的世界。)
いい人 いい雨 いい天気 みんな私中心
好人 好雨 好天氣 皆自我中心
行いと言葉の 背後に 世間があるか 如来があるか
行為和言語的背後 是世間 還是如來
私たちの人生の争いは いつも善と善の争いだ
我們人生的爭執 一直是善與善之爭
(注:人的衝突,其根源皆是從自我立場出發所認爲的善。)
如来ご自身が南無阿弥陀仏となって 衆生の前にあらわれてくださった
如來御自身化爲南無阿彌陀佛 於衆生前示現
人間が人間だけでやっていく 現代の問題はそこにある
人類只是依靠人類來維持 現代的問題正在此處
(維持,在此是指生活、過日子的延續。人類侷限於自身的想法和行爲,去獵取自身的利益,看不到更廣大的世界,這樣的自我中心就是一切矛盾衝突和危機的根源。這正是我們常說的「自力」的陷阱。與此相對,「他力」不是抽象的概念,或者只是專指某種力量,其實就是包圍著我們、與我們共存的整個存在。發現自己一直是被他力的廣大世界支持和守護時,自然會以謙卑隨順、感恩報謝的心過生活,種種基於自我立場的對立衝突,也會被化解和超越。)
仏の救いのはたらきが 私の声となったお念仏
佛救度的運作 成爲我的念佛之聲
貴方の感じられている虚しさこそ真実の世界への強烈な憧れなのです
你所感受到的空虛正是對真實世界的强烈憧憬
(莫懷疑,煩惱中有菩提。深究空虛,會發現是來自對真實的追求。對真實的追求即來自真實本身,亦是真實的顯現。)