親鸞聖人作 2024年10月02日

入出二門偈頌
愚禿釋親鸞作
『無量壽經論』一卷(元魏天竺三藏菩提留支譯)
婆藪盤豆菩薩造
婆藪盤豆是梵語
舊譯天親此是訛
新譯世親是為正
優婆提舍願生偈
宗師是名淨土論
此論亦曰往生論
入出二門從斯出

世親菩薩依大乘
修多羅真實功德
一心歸命盡十方
不可思議光如來
無礙光明大慈悲
斯光明即諸佛智
觀彼世界無邊際
究竟廣大如虛空
五者佛法不思議
此中佛土不思議
有二種不思議力
斯示安樂之至德
一者業力謂法藏
大願業力所成就
二者正覺阿彌陀
法王善力所攝持
女人根缺二乘種
安樂淨刹永不生
如來淨華諸聖眾
法藏正覺華化生
諸機本則三三品
今無一二之殊異
同一念佛無別道
猶如淄澠一味也
觀彼如來本願力
凡愚遇無空過者
一心專念速滿足
真實功德大寶海
菩薩入出五種門
自利利他行成就
不可思議兆載劫
漸次成就五種門
何等名為五念門
禮讚作願觀察回
云何禮拜身業禮
阿彌陀佛正徧知
善巧方便諸群生
為生安樂國意故
即是名入第一門
亦是名為入近門
云何讚歎口業讚
隨順名義稱佛名
依如來光明智相
欲如實修相應故
則斯無礙光如來
攝取選擇本願故
是名為入第二門
即獲入大會眾數
云何作願心常願
一心專念願生彼
得入蓮華藏世界
欲如實修奢摩他
是名為入第三門
亦是名為入宅門
云何觀察智慧觀
正念觀彼欲如實
修行毗婆舍那故
得到彼所則受用
種種無量法味樂
即是名入第四門
亦是名為入屋門
菩薩修行成就者
四種成就入功德
自利行成就應知
第五成就出功德
菩薩出第五門者
云何廻向心作願
不捨苦惱一切眾
廻向為首得成就
大悲心故施功德
生彼土已速疾得
奢摩他毗婆舍那
巧方便力成就已
入生死薗煩惱林
示應化身遊神通
至教化地利群生
即是名出第五門
入薗林遊戲地門
以本願力廻向故
利他行成就應知
無礙光佛因地時
發斯弘誓建此願
菩薩已成智慧心
成方便心無障心
成就妙樂勝真心
速得成就無上道
成自利利他功德
則是名為入出門

曇鸞和尚(大巖寺)
婆藪盤豆菩薩論
本師曇鸞和尚註
願力成就名五念
佛而言宜言利他
眾生而言言他利
當知今將談佛力
如實修行相應者
隨順名義與光明
以斯信心名一心
煩惱成就凡夫人
不斷煩惱得涅槃
則斯安樂自然德
淤泥華者經說言
高原陸地不生蓮
卑濕淤泥生蓮華
此喻凡夫在煩惱
泥中生佛正覺華
斯示如來本弘誓
不可思議力即是
入出二門名他力

道綽禪師(玄忠寺)
道綽和尚解釋曰
大集經言我末法
起行修道一切眾
未有一人獲得者
在此起心立行者
則此聖道名自力
當今末法是五濁
唯有淨土可通入
今時起惡造眾罪
恒常如暴風駛雨
本弘誓願令稱名
是為穢濁惡眾生
是以諸佛勸淨土
縱令一生造惡者
三信相應是一心
一心淳心名如實
若不生者無是處
必得往生安樂國
生死即是大涅槃
則易行道名他力

善導禪師(光明寺)
善導和尚義解曰
念佛成佛是真宗
即是名為一乘海
即是亦名菩提藏
即是圓教中圓教
即是頓教中頓教
真宗叵遇難得信
難中之難無過斯
釋迦諸佛是真實
慈悲父母以種種
善巧方便令發起
我等無上真實信
具足煩惱凡夫人
由佛願力獲攝取
斯人即非凡數攝
是人中分陀利華
斯信最勝稀有人
斯信妙好上上人
到安樂土必自然
即證法性之常樂
入出二門
建長八歲(丙辰)三月廿三日書寫之
出處:《真宗聖教全書》(二·宗祖部)
又:《大正藏》第83卷No.2649

世親(天親)菩薩の『浄土論』の入出二門と、曇鸞大師・道綽禅師・善導大師の釈義についての讃嘆の偈頌である。
冒頭まず『浄土論』の「願生偈」によって、世親菩薩が真実の教によって阿弥陀仏に帰命されていることを讃え、さらに曇鸞大師の解釈にもとづいて、「願生偈」がまったく阿弥陀仏の本願力を讃嘆するものと理解されている。
すなわち礼拝・讃嘆・作願・観察・回向の五念門と、それに応ずる近門・大会衆門・宅門・屋門(以上が入の四門)・園林遊戯地門(出の第五門)の五功徳門(入出二門)について、元来は往生人の所修として論じられていたものを、親鸞聖人はすべて法蔵菩薩の修行されたところとみなし、「願力成就を五念と名づく」といわれている。この親鸞聖人独自の解釈は、曇鸞大師が『浄土論』の文にしたがって五念門を修行者たる菩薩の行として論じつつも、最後に五念門の因果が「阿弥陀如来を増上縁とする」ことを明らかにして、他利利他の釈を示された意をうけているのである。
さらに道綽禅師の聖浄二門の釈義を讃え、善導大師が念仏成仏の法門を真宗といい、一乗海とよび、信心の行者を称讃されたことを述べられている。

入出二門偈頌
愚禿親鸞作
【1】
世親菩薩(天親)は、大乗修多羅の真実功徳によりて、
一心に尽十方不可思議光如来に帰命せしめたまへり。
無碍の光明は大慈悲なり。この光明はすなはち諸仏の智なり。
かの世界を観ずるに辺際なし、究竟せること広大にして虚空のごとし。
五つには仏法不思議なり。このなかの仏土不思議に、
二種の不思議力まします、これは安楽の至徳を示すなり。
一つには業力、いはく法蔵の大願業力に成就せられたり。
二つには正覚の阿弥陀法王の善力に摂持せられたり。
女人・根欠・二乗の種、安楽浄刹に永く生ぜず。
如来浄華のもろもろの聖衆は、法蔵正覚の華より化生す。
諸機は本すなはち三三の品なれども、いまは一二の殊異なし。
同一に念仏して別の道なければなり、なほ淄澠の一味なるがごとくなり。
かの如来の本願力を観ずるに、凡愚、遇うて空しく過ぐるものなし。
一心専念すれば、すみやかに真実功徳の大宝海を満足せしむ。
菩薩は五種の門に入出して、自利利他の行成就したまへり。
不可思議兆載劫に、漸次に五種の門を成就したまへり。
なんらをか名づけて五念門とすると。礼と讃と作願と観察と回となり。
いかんが礼拝する、身業に礼したまひき。
阿弥陀仏正遍知のもろもろの群生を善巧方便して、安楽国に生ぜん意をなさしめたまふゆゑなり。
すなはちこれを入第一門と名づく、またこれを名づけて近門に入るとす。
いかんが讃嘆する、口業に讃じたまひき。
名義に随順して仏名を称せしめ、如来の光明智相によりて、実のごとく修し相応せんと欲ふゆゑなり。
すなはちこれ無碍光如来の、摂取選択の本願なるがゆゑなり。
これを名づけて入第二門とす。すなはち大会衆の数に入ることを獲るなり。
いかんが作願する、心につねに願じたまひき。一心専念してかしこに生れんと願ぜしむ。
蓮華蔵世界に入ることを得て、実のごとく奢摩他を修せんと欲はしむ。
これを名づけて入第三門とす。またこれを名づけて宅門に入るとす。
いかんが観察する、智慧をして観ぜしめたまひき。
正念にかしこを観じて、実のごとく、毘婆舎那を修行せしめんと欲ふがゆゑに。
かの所に到ることを得れば、すなはち、種々無量の法味の楽を受用せしむ。すなはちこれを入第四門と名づく。
またこれを名づけて屋門に入るとす。菩薩の修行成就とは、四種は入の功徳を成就したまへり、自利の行を成就したまへりと、知るべし。
第五は出の功徳を成就したまへり。菩薩の出第五門は、いかんが回向する、心に作願したまひき。
苦悩の一切衆を捨てずして、回向を首めとして、大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに、功徳を施したまふなり。
かの土に生れをはりて、すみやかに疾く奢摩他・毘婆舎那、巧方便力成就することを得をはりて、生死の園・煩悩の林に入りて、応化身を示し、神通に遊ぶ、教化地に至りて群生を利せしむ。
すなはちこれを出第五門と名づく、園林遊戯地門に入るなり。
本願力の回向をもつてのゆゑに、利他の行成就したまへりと、知るべし。
無碍光仏、因地のとき、この弘誓を発し、この願を建てたまふ。
菩薩すでに智慧心を成じ、方便心・無障心を成じ、
妙楽勝真心を成就して、すみやかに無上道を成就することを得たまへるなり。
自利と利他との功徳を成ずる、すなはちこれを名づけて入出門とすとのたまへり。

【2】
婆藪槃頭菩薩(天親)の『論』(浄土論)、本師曇鸞和尚註したまへり。
願力成就を五念と名づく、仏をしていはばよろしく利他といふべし。
衆生をしていはば他利といふべし。まさに知るべし、いままさに仏力を談ぜんとす。
如実修行相応といふは、名義と光明と随順するなり。
この信心をもつて一心と名づく。煩悩成就せる凡夫人、
煩悩を断ぜずして涅槃を得、すなはちこれ安楽自然の徳なり。
淤泥華といふは、『経』(維摩経)に説いてのたまはく、高原の陸地には蓮を生ぜず。
卑湿の淤泥に蓮華を生ずと。これは凡夫、煩悩の泥のうちにありて、
仏の正覚の華を生ずるに喩ふるなり。これは如来の本弘誓不可思議力を示す。
すなはちこれ入出二門を他力と名づくとのたまへり。

【3】
道綽和尚、解釈していはく、『月蔵経』にのたまはく、わが末法に、
行を起し道を修せんに一切の衆、いまだ一人も獲得するものあらじと。
ここにありて心を起し行を立つるは、すなはちこれ聖道なり、自力と名づく。
当今は末法、これ五濁なり、ただ浄土のみありて通入すべしと。
今の時、悪を起し衆罪を造る、恒常なること暴風駛雨のごとし。
本弘誓願に名を称せしむるは、これ穢濁悪の衆生のためなり。
これをもつて諸仏、浄土を勧めたまへり。たとひ一生悪業を造れども、
三信相応すればこれ一心なり、一心は淳心なれば如実と名づく。
もし生ぜずは、この処なけん。かならず安楽国に往生を得れば、
生死すなはちこれ大涅槃、すなはち易行道なり、他力と名づくと。

【4】
善導和尚、義解していはく、念仏成仏する、これ真宗なり。
すなはちこれを名づけて一乗海とす、すなはちこれをまた菩提蔵と名づく。
すなはちこれ円教のなかの円教なり、すなはちこれ頓教のなかの頓教なり。
真宗に遇ひがたし、信を得ること難し、難のなかの難、これに過ぎたるはなし。
釈迦・諸仏、これ真実慈悲の父母なり。種々善巧方便をもつて、
われらが無上の真実信を発起せしめたまふ。
煩悩を具足せる凡夫人、仏願力によりて信を獲得す。
この人はすなはち凡数の摂にあらず、これは人中の分陀利華なり。
この信は最勝希有人なり、この信は妙好上上人なり。
安楽土に到れば、かならず自然に、すなはち法性の常楽を証せしむとのたまへり。
入出二門偈頌
七十四行
愚禿釈親鸞作

三帖和讚:
三帖和讚(最終版)
教行信證大系·要論:
《淨土三部經講話》「序講」

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